②下条八景 : 近江八景をまねて、下条の趣きのある景色を昔の人が選んで作ったものですが、だれがいつごろ作ったかはわかりません。
1 弁天の秋の月 : 天王の弁天様の横にある池は、昔は8倍も大きい池でした。その池に映る月は、とてもきれいでした。
2 金西寺の暮鐘 : 藤ヶ池の金西寺の鐘の音は、夕暮れ時は、特に心にしみわたるように響いてきます。
3 星野の晴風 : 五井町の北側の畑の中に、昔星野氏のお城があり、この地を星野と呼んでした。晴れた日に、この一帯に霞がかかると、青く霞んでそれはきれいです。
4 梁瀬の帰帆 : 昔は、豊川を新城まで、舟が荷物をいっぱい積んで行き来していました。 新城から帰る舟が、天王のわたしの少し上の浅瀬を行く様は絵のようでした。
5 御所が池の落雁 : 堀の内にある霊江寺の前は、昔は広い池になっており、御所ヶ池と呼ばれていました。秋になるとこの池の上を雁が列をつくって飛んでいく様は、誠に趣がありました。
6 文武天皇陵の夜の雨: 竹之内の正楽院にある古い立派なお墓は、文武天皇陵と呼ばれていましたが、そこに降る夜の雨は、昔の亡き王子をしのばせるものでした。
7 鷺橋の暮 : 暮川から下条に入る県道にかかる橋を鷺橋と言いますが、夕暮れ時、雪が降ると,広々とした田をバックにとても趣がありました。
③「下条」のいわれ
大宝元年(701年)、文武天皇(もんむてんのう)は、東の方の国を征伐するために、三河の国に行幸(ぎょうこう)されました。しばらく星野の里にいらっしゃいました。牛車(ぎっしゃ)に乗られている途中、川を渡られたときに日が暮れかかったので「暮川(くれがわ)と名づけました。夜になって星野の行在所(あんざいしょ)にお着きになり、牛車から降りられました。そこで、この地を「下乗(げじょう)」と呼んでいましたが、後には「下条(げじょう)」というようになりました。
※星野の行在所というのは、竹之内の中屋敷(なかやしき)という場所だそうです。